「教育研究室だより」は、教育学科の関係者(卒業生など)に向けて毎年発行され、昨年(2025年)には32号発行となりました。
近年はデジタル化により関係者にはパスワード付きで閲覧できる形式に変更いたしましたが、本年度(2026年度)より、これまでの「研究室だより」の内容を含め、様々な教育学科のNEWSやお知らせ、先生方の様子などをホームページにてご覧いただく形式に切り替えて参ります。

2026年度聖心女子大学教育学科代表委員 植田誠治
2026年度教育学科代表委員を務めることになりました。学生一人ひとりが充実した学生生活を送ることができるよう全力でサポートしていきたいと思います。
4月1日、新たに教育学科に進級した2年次生向けのガイダンスが行われました。ご承知のとおり、本学は1年次生を基礎課程で学び、2年次生より各学科専攻での学修を始めます。ある意味、大学に入ってから二度新たな気持ちで新年度を迎えることができることになります。目の輝く多くの新2年次生を前に、とても新鮮な気持ちになりました。
ただし、当然ながら進級したすべての学生が、教育学科を第1志望としていたわけではありません。さらに遡れば、すべての学生が本学を第1志望としていたわけではありません。またその比率は時代とともに変化してきてもいます。新鮮な気持ちとともに、第1志望であった学生はもちろん、そうでなかった学生たちにも、教育学科でそして聖心女子大学で学んでよかったと思ってもらえるように努めねばという気持ちも新たにしました。
そんなこともあり、少し厳しいかとも思いましたが、新2年次生に今回次のような話をしました。 「皆さんの大先輩にあたる本学1期生の渡辺和子さん(シスター・元ノートルダム清心女子大学学長)は、“置かれた場所で咲きなさい”というとても有名な言葉・著書を残しておられます。とても意味深い言葉ですね。ご存じの方も多いと思います。ところで、本学副学長を務められた関場誓子先生は、かつて卒業を目前にした4年生全員を前にして、まず彼らにこの言葉を贈られました。そして、その言葉の意味と素晴らしさを伝えられた後、『この言葉は私の言葉ではないので私の言葉を加えて皆さんにはなむけの言葉として贈ります』と言われ、次のように話されその場を閉じられたのです。“置かれた場所で咲きなさい、ただし置かれた場所で咲けない花はどこに行っても咲けません”。それを聞いた瞬間私はドキッとしましたが、この言葉もまた現実を踏まえた素晴らしい内容だとも感じました・・・。」
“石の上にも三年”という言葉もあります。冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる、がまん強く辛抱すれば成功することのたとえです。確かに自身の経験でも、3年ほどがまん強く続けているといろいろなことが、特に周りの自分に対する対応が変わってくることがあったなと実感します。
ただし、今は本当に多くの情報に溢れ、自分を見失ったり、落ち着いてじっくり考えることができなかったりといったことも少なくありません。河合隼雄氏の「マジメも休み休み言え」を少し変えて、「マジメも休み休み行うくらいがちょうどいい」のではないかとも思います。安全性と持続可能性を高めるために、自動車のブレーキに“あそび”があるように。
退任あいさつ

ことばはいのち
木下ひさし
杜の都仙台から移ってきて12年。何とか無事に任を終え、定年退職という卒業を迎えることができました。
教育学科においては、国語科の専任教員は私が初めてだそうです。どなたかの後任というのではなく、増員というかたちでの採用でした。ですから、研究室はそれまで教職課程室として使用されていた2号館2階の角部屋でした。以前はインターナショナルスクールの校長室だったとか。木の香りと古びた感じが気に入りました。近くの練習室から流れてくるピアノの音もいかにも教育学科でした。
授業では、前の大学とは異なり演習や卒論で専門外の内容も扱わなくてはならなくなりました。当初は戸惑いもありました。が、教育は教育。現場教員として長年やってきたことに専門外も何もありません。経験を基盤にしつつ学生のみなさんと共に新しい学びを深める日々ともなりました。
それでも、一応の専門は国語科教育です。国語、すなわち母語、すなわち日本語、すなわちことばです。当然ですが教育という行為はことばを媒介にして行われます。国語という教科はそのことばが目的であり手段でもある教科です。これから教育に携わっていく学生たちにどのようなことばの知識と考え方や捉え方が必要なのか、技術もだが限りある時間の中で技術を支える思想は伝えられないか、そのような課題意識で授業に取り組んできたつもりです。「言は人なり」つまり、「ことばはいのち」ということです。果たして学生のみなさんはどのように受け取ってくれたでしょうか。
小学校1年生の学級担任から始まった45年間の教師生活でした。途中で中学校を挟んで31年目に大学教員となりました。基本的に小学校も大学も教育の場であることには変わりはない、こういった思いでずっと学び手に正対してきました。この間、何人の子どもたちが私のことを「先生」と呼んでくれたでしょう。それを思うとあらためて責任の重さを感じます。そして、その責任を十分に果たせたかどうかという悔恨の思いがあります。責任逃れではありませんが、みんな元気に生きてくれているだろうと願うばかりです。
正直に申し上げればつらいときが無かったわけではありません。学科代表と教職課程委員長を兼任し、対外的には私大教職課程協会の役員が重なってしまった年は、やはりしんどかったです。それから、コロナ渦で対面授業ができなかったとき。デジタル音痴の身としては本当につらかった。しかし、そのようなときも何とか乗り越えられてきたのは、優しくて寛容な聖心女子大学のみなさんのおかげだったとしみじみ思い返すことができます。
学内の四季折々の自然にも癒やされました。初冬に正門付近で咲く「茶の花」はとくに好きでした。多くの鳥たちにも出会いました。
こんな素敵な大学が教員卒業の場となった幸せをかみしめています。ほんとうにありがとうございました。
退任あいさつ
水島尚喜

この文章が、最後の「研究室便り」の執筆となりますことを大変寂しい思いで受け止めています。しかしながら、聖心女子大学に学んだ(勤務というより、学ばせていただいた)30年近くの年月が、この上もなく幸せな時間帯であったことを、今切実に感じています。二枚の写真の中に、それらを感じ取っていただけるでしょうか?
人生は、さまざまな対象との「出会い」と「別れ」の集積であることを思います。そして幼少期で感受した現実世界の手触りや雰囲気の中に、「何かとても大切なもの」があるということを直感し、それらからの内容を3月28日行ったレクチャー( -水島尚喜最終講義-“NOW AND THEN” 煌めきの出会い)で表現しようとしました。そこでは、多くの方々の温かいお言葉がけとご支援を頂戴しました。改めて御礼申し上げます。講義は多少舌足らずとなってしまいましたが、私自身の出会いと別れの教訓を通して、特に若い皆さん自身が「あの時と現在」から、「未来」をより豊かに構築されることを願い託しました。
私は、1997年の聖心着任以来、学生諸氏、同僚の先生方、教職員の皆様から、有形、無形のたくさんの宝物を頂戴してきました。個々の学生さんの感性や、先生方の叡智溢れるご配慮に、幾度となく救われてきました。「美術教育学」は、私の専門領域でありますが、造形的な行為や、現実界に存在する人間の美的な感性に関わる臨床的実践学と言えます。
その点において、本性に根差した表現の煌めきを授業において触知できること、何よりも学生さんとの授業は楽しく、制度を超えた至福の時間帯でした。それらは、私自身の誇りとなり、これからの人生の羅針盤となっています。お絵描き、工作、音楽、が大好きだった少年が成長し、私が私として存在することができる場が聖心であったことに、心より感謝しております。
聖心卒業後は、微力ながら造形文化、絵本文化等を通して子どもたちや社会への還元を図ってまいります。皆さん、どうぞお元気でお過ごしください。長きに渡り本当にありがとうございました。
新任あいさつ

ごあいさつ
神永裕昭
木下ひさし先生の後任として着任いたしました神永裕昭と申します。東京都の小学校教員として20年ほど勤務した後、岐阜県にある教員養成の大学で教鞭をとり、ご縁がありまして、本年4月より本学に着任いたしました。
専門は、国語科教育学(主に文学教材を読む学習)とインプロ(即興演劇)です。いずれも、小学校という教育現場において実践の可能性を探るかたちで研究を進めまいりました。本稿では、おそらく皆さんにとってあまり馴染みのない「インプロ」についてご紹介したいと思います。
インプロとは「improvisation」が略された言葉で、「impro」「improv」と表記されます。あらかじめ決まった脚本がない状態で舞台に立ち、その場で発想やアイデアを出し合いながら、せりふや身体表現を用いて演じ、協働で物語を創っていく演劇のことです。
私がインプロに出会ったのは、小学校の教員をしていた頃です。国語科という教科は文化的側面がある一方、日常の言語活動に関わるスキルに密接に関係しています。国語科には「話すこと・聞くこと」という領域があり、話すスキル、聞くスキル、話し合うスキルを学びます。しかし、これらのスキルを習得すれば、必ずしも他者とのコミュニケーションが活性化したり、話し合いがよりよい方向に進んだりするとは限りません。訥々と話す言葉が心に響いた経験や、話し合いにおいて話題が脱線したことによって結果的にお互いを理解し合えたという経験は多くの方にあるのではないでしょうか。
私たちは物事を分けることで理解しようとします。分けることで国語科という教科や「話すこと・聞くこと」という領域の構造がかたちづくられます。これは学習のゴールを設定する上で大切なことです。しかしその一方で、分けることでこぼれ落ちてしまうものがあるのも事実です。インプロには、他者と話したり聞いたりする営みにおいて、「話すこと・聞くこと」の学習からこぼれ落ちてしまった大切な要素が含まれていると感じたことが研究のきっかけとなりました。
インプロは、協働で物語を創るため、他者との関係の中に表現が生まれていきます。その際に、自分をよく見せようとしたり独創的なアイデアを出そうとしたりすると、かえってうまくいかないことが多くあります。インプロには、「相手によい時間を与える(Give your partner a good time)」という考え方があり、何をするか(doing)よりも、相手と共に在ろうとすること(being)が大切になってきます。頭では分かったとしても、これまで身に付いてきた価値観は表出し、「何かよいことを言わなければ」と考えたり、先を考えすぎて相手の言葉を十分に聞くことができなかったりといった経験をします。しかし、インプロは日常から離れた遊びの活動であり、「もう一度やる(try again)」ことができます。また、即興で行うため、うまくいかないことが前提となる場でもあります。繰り返し活動する中で、インプロをしている時の自分や日常の自分を振り返ることで、他者と話したり聞いたりする営みについての発見が生まれます。この発見が自身のコミュニケーション観や他者観を更新させていきます。インプロを通した学びは、特定な力を身に付けたり、ある一つの答えを目指すような活動ではありません。自分の中に既にあるものに揺さぶりをかけ、問い直していく営みと言えます。
大学入学以前の長年にわたる教育機関での経験を通じて、学生も私たちも無意識のうちに、それぞれ固有の「教育観」や「学習観」を形成しています。インプロの知見は、こうした既成の枠組みを揺さぶり、それらを問い直す契機を提供し得るものです。学生と共に新たな学びの在り方を考えていきたいと思います。これまでの経験を活かしつつ、本学における教育および研究活動に精励努力してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
研修年を終えて
研修年を終えて 植田誠治
2025年度は、聖心女子大学に来てから2度目となる研修年をいただきました。あらためまして、このような機会をいただいた大学、そして様々な面でご支援ご協力をいただいた学科の皆様にお礼申し上げたいと存じます。
今回は、7月に訪米したことを除き、国内での研究活動と指導する大学院生の授業・論文指導ならびに学部の全学共通科目の授業を中心に行ってきました。
特に前半では、授業と論文指導の合間に、専門である学校保健学の、特にこれまで進めてきた保健教育に関する研究の振り返りとまとめを進めました。そして、その内容は、7月に開かれた一般社団法人日本健康教育学会第33回学術大会の教育講演「健康教育再考~学校における健康教育から考える~」にて多くの皆様と共有するとともに、特別報告「健康教育再考-学校における健康教育の動向から-」(日本健康教育学会誌 34(1), 2026. 65-69)としてまとめることができました。
9月からは、文部科学省・中央教育審議会専門委員を務めることとなり、数年後に告示される予定である学習指導要領の骨子を構築する検討を進めました。この作業は、これまでの自身の研究成果を行政に反映させるものとなり、制約はあるものの、自分の行ってきたものを社会に還元する、あるいは社会貢献するといった意義を深く感じるものとなっています。この作業は、2026年度に入ってからももう少し続く予定です。
11月には一般社団法人日本学校保健学会の理事長職を再任されました。この学会は、児童生徒等ならびに教職員の健康管理・疾病予防、保健教育・健康教育、学校環境衛生など幅広い領域を学問的かつ実践的に、そして医学各領域・教育学・心理学・社会科学等の学際的な協働連携によって研究しています。70年を超える歴史を持ち、現在約1700名の会員がいます。おそらく最後の理事長職任期となると思われますので、次世代へのよいバトンタッチができるようにと、新たな体制づくりに励むことができました。
さて、この研修年度中に、分担執筆や編集に関わった著書4編、学術論文4編、研究報告書・高校教科書・教師用授業動画等4編を作成し、学術学会での発表2回ならびに学術講演等8回を行うことができました。先に示した活動とともに、とても充実した時間を持つことができました。
この1年の経験と成果を、2026年度からの本学での授業・研究・運営等に生かしていきたいと思います。
巡礼の道を歩いて 永田佳之


左↑巡礼の道は険しい!笑顔の写真は1枚もありません 笑)
右↑イノチェンティでは各国政府向けの「通信簿」を作る国際チームと研究に没頭しました。
昨年度は10年ぶりの研修年をいただき、南方熊楠記念館のリサーチ・フェロー及びユニセフ・イノチェンティ研究所のシニア・リサーチャーとして紀南とフィレンツェを往来する生活でした。
研修年が始まって気づいたことは、大学で20年近く働き続けた自分は相当にポンコツになっていたということでした。身体のあちこちがおかしく、健康回復のためにもこの1年心掛けたことは、とにかく歩くこと。テクノロジーが日進月歩で日常を呑み込んでいくような昨今だからでしょうか、またAIのスピード感に身体感覚が違和感を持ち始めていたせいでしょうか、自らの心身にとって今、必要なのは長距離の徒歩だということは自明の理でした。研究生活の隙をみては、欧州の巡礼の道や紀州の熊野古道など、350キロ以上、歩き続けた1年でした。
欧州の場合、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼の道を完歩すればラテン語の証明書をいただけるのですが、その条件は徒歩か馬か自転車のいずれか。わずかな経験ではありますが、3つの移動手段の中では断然、徒歩がオススメです。歩くということは、自分のもっとも深いところにあるリズムを見いだせるからです。特に長く歩くことは自分の中に〈原初の人間〉を感じることにつながる、と聞いたことがあります。たしかに1日8時間も歩き続けると、自分と自分以外を分け隔てている外界との境界が曖昧になってくると同時に、自分が存在しているという感覚が蘇ってくるのです。
『ウォールデン 森の生活』の著者として知られるヘンリー・ソローは、ハーバード大卒業後につとめた公立校では授業を長時間の散歩と交互に行うべきであると考えていたそうです(体罰に反対して2週間で辞職してしまいましたが)。せっかく都内随一の美しいキャンパスにいるのだから、自分も学生と歩きながら思索をしてみたい・・・1年ぶりに学生たちを前にした自分には、そんな提案をする勇気をとても持ち合わせていないのですが、南方熊楠記念館やイノチェンティ研究所での研究成果をなんらかの形で、巡礼の道での気づきと共に、学生たちに還元していきたいと思っています。
最後になりますが、サバティカルという研究にいそしむ時間をいただけましたことに感謝し、それを可能にして下さったすべての方々に心よりお礼をお伝えいたします。